前ブログから始まった真っ赤な嘘 考察、自分の中ではこれで一旦終わりにしたい。
まとめると
- 1番・落ちサビ以降は嘘をつかれている人。
- 2番〜Cメロは嘘をついている人目線。
これで一旦落ち着いて、初見で悲しくて泣いてしまうほど衝撃的な歌詞があったけど、それも含めて腑に落ちた。個人的には。
でも私の足りない頭では分からないことが多すぎました。日本語検定受けたい。
皆様の考察を覗きにいきたいと思うので、また言ってることが二転三転するかも。
では以下、詳細になります。
素振りがどうも惰性のようで
カタルシス感じない あなたが薄れた
惰性のような素振りに何も感じられない。
好きだった「あなた」が薄れてしまった。
この人はただ自分のことを好きでなくなってしまったのかと相手を疑っている。
*惰性:これまでの習慣や意識せず続いてきた癖や、同じ運動状態をそのまま続けようとする性質を示す。気持ちやモチベーションはないのに、だらだらと続けてきたという状態
*カタルシス:浄化。心が大きく揺さぶられたり共感したりし、無意識に抑えていた気持ちがスッキリと解放されること。
いや見つめる先が愛に変わった
相槌のみでキスするように
見つめる先が(恋から)愛に変わった。
惰性ではなく、慣性であり、日常。キスするのも空気でわかるようになる。
盲目的オンリー 失うことを恐れていた
純粋的な裏返し 正しい愛を掴んでいる
純粋的な裏返し → 意地?執着?正しい愛を掴んでいると疑わないのは意地?
掴んでいる?
本当に正しい愛を掴んでいる?
真っ赤な嘘
どうせ飽きられる演出
嘘
愛ゆえお先は明明
どうして私は分からないの?
分かりたいの
分からないよ
真っ赤な嘘
どうして「私」は分からないの?を2人で歌っている。分かりたいけど結局分からない。2人とも「分からない」。歌い分けはあるものの、2人は同一人物と考察
あなたの前で彷徨うサイレン
上手く笑えず身を知る雨が
2番から、真っ赤な嘘をついている人?
サイレンから、良くないことの前兆を感じさせている。
上手く笑えないで泣いている、嘘がバレた?綻び始めた?
*身を知る雨:わが身の上の幸、不幸を思い知らせて降る雨。 わが身のさまを知る雨。 多く涙にかけていう。
いや優しい声に気づけてなくて
ありのままの愛は真っ白
「真っ赤」な嘘、というタイトル表記以外で初めて色が出てくる。しかも「真っ白」
(Feel da CITYネタバレだけど、真っ赤な嘘を歌うときはモニターを2分割して、赤いエフェクトとモノクロで2人が映し出されてた)
対義語としての「真っ白な愛」か、同義語としての「真っ白な愛」か。
優しい声に気付けていないのだから、そこには何もない気がする。。。
*真っ白:純真無垢であること/空っぽ。何もないこと
曖昧なストーリー 疑うことに慣れていた
信じることの裏返し 正しい愛を掴んでいる
信じることの裏返し → 信じたいのかな、と思っていたけど、そのまま、嘘を表しているようにも見える。
正しい愛、というけれど、その愛は空っぽで、何もないはずだから。
掴んでいる?
2番においてはネガティブ側面の詞が、泣いたり、愛したいと言ったり、とても感情的に見える。この問いかけは、愛を掴みたいんだろうか。
真っ赤な嘘
どうせ飽きられる演出
嘘
愛ゆえお先は明明
花びら落ちてく気がするの?
気づけないの?
愛したいの
2人で歌うどうして私は分からないの?が2番にはない
同じ箇所を北斗ソロで歌っている。やっぱり1番を歌う「私」とは違う人に見える。
「花びら落ちてく気がするの?」という問いかけがずっとよく分からなかったけど、
次に続く「気付けないの?」を汲み取るに、嘘に気づいて欲しいのかな。
気付けないの?(=気づいてよ)→ 何もない愛だけど本当は、ちゃんと愛したいんだよ。と受け取れるような、気がする。
真っ赤な
自分が鏡に映って
落ちない汚れを見ているようで
くだらないことも
心を
素通し
出来たら痛まないのに
心を素通しできたら(=見通せたら)痛まないのに。と訳せるので、真っ赤な嘘をついている人。嘘をついているので、落ちない汚れを見ているような気になっている。と考察。
愛は真っ白で(=何もなくて)自分は真っ赤(=嘘でできている)。
でもこの人は嘘をついて心が痛んでいるのだから、何もなかったはずの愛に感情を植えてしまったのかもしれない。悲しくなってきた。
真っ赤な嘘
どうせ飽きられる演出
嘘
愛ゆえお先は明明
どうして私は分からないの?
分かりたいの
ほんとは分かってるの
2人で歌うどうして私は分からないの?が帰ってきたので、主人公は1番にシフトと仮定。続く「分かりたいの」が高地パートから北斗パートへ。
真っ赤な嘘
どうせ飽きられる演出
嘘
愛ゆえお先は明明
どうして私は分からないの?
分かりたいの
分からないよ
真っ赤な嘘
最後の「分かりたいの」がユニゾンへ。
ポジティブ側が「分かりたいの」と思っていて、ネガティブ側もやいのやいの言ってもやっぱり「分かりたいの」と思っていて、最後は心情の波は関係なく「私」そのものが分かりたいよと思っている。
落ちサビで「本当はわかっている」とユニゾンで言った後に、ラスサビで北斗が「分からないよ」と歌うのは、嘘に気づいていながらも気づかないふりをしているように見える。