ヲタクのたわごと

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「すずめの戸締まり」には希望が詰まっていた

「すずめの戸締まり」公開おめでとうございます!7日にIMAX先行上映で見させてもらいまして、翌日から2日かけて小説版を読了し、どこよりもはやいネタバレ感想ブログを書いてやるぞと意気込んでいる私です!!!(最悪)

 

※がっつりネタバレしますのでご注意ください。

※個人的な内容ですが、少しだけキンプリの件にも触れているので、念の為ご注意ください。

 

 

 

 

自分の人生で一番感動して泣いた映画が「君の名は。」の時点で、新海監督の作品が好きなことは確定していて、「天気の子」も公開直後すぐ観に行ったし、映画館の予告で観た「すずめの戸締まり」も人並み程度に楽しみにしてた。

 

・・・はずだったのに、推しがメインキャストとして出ることになった。人並み程度のそれではなくなってしまって、それから、自分の中でいろんな葛藤があったりもした。

 

君の名は。」の時、声優が神木くんとか萌音ちゃんとか知らずに、ほんとに、事前情報を何も持たないで観た、あの時の衝撃のデカさが、なんかもう、一生忘れられなくて。エンドロールが終わっても涙が止まらなくて、自分でもなんで泣いてるのかわからないほど、ずっと泣いてて。

 

本当は、あれだけの感動をまたしたいと、ずっと思ってる、のに、私は「すずめ」に対しては、事前情報を持ち過ぎてしまっていることが、ちょっと、引っかかってた。そうなってしまってるのは、推しが、ほくとが声優をするから、ということも分かってる。そもそも、ほくとが声優という時点で、私の感動ポイントがすり替わってしまったらどうしよう。とか。いらぬ心配をずっとしてて。

 

 

 

結局、見終わってしまえば全て杞憂だったと思えた。本当に良かった!

椅子かわいい!しか思えなかったらどうしようとか思ってたけど、椅子かわいい!は感想として正解であることが、本編を見たらしっかり理解できた。草太は、かわいくはないから(←あ?)だからこそ椅子が「かわいい」ことで、ストーリーが成り立っていくように見えた。

 

草太のイメージは「神と人間の融合体」なんだそう。イケメンで品行方正。美しくて、芯があって落ち着いた声の、凜とした青年。過去作のメインの男性キャラクター(瀧くん、帆高)と比べて、草太はちょっと、完璧すぎるというか、なんか、取っつきにくいじゃん。その隣にただ鈴芽が並ぶのでは少し、違和感があるようにも見えて。

そこで椅子のかわいさが本領発揮するわけ。品行方正イケメンが、品行方正イケメンの出で立ちで「君は家に帰りなさい。」って去り際に言えば素直に帰るけど、椅子の姿で言われたら、そりゃ、変じゃん。椅子のくせにイケメンムーブメントかますなよ!椅子じゃん!っていう、この「中身」と「見た目」のミスマッチが、もう面白くて「かわいい!」でしかなかった。終始かわいかった。

 

 

草太の隙がない感じが椅子になることで和らいで、結局「椅子かわいい!」しか思えてない俺()になっている気がするけど、それはそれでいいんだ。これが正解なんだろうと、自分の中では腑に落ちてる。

 

 

 

とにかく椅子がかわいいことはさておいて、ほくとがブログで「この映画に出会うタイミング」について話してくれてたことがあったじゃん。あれは完成報告会の日だったかな。

 

推しの舞台挨拶うんぬんではなく、誰よりも早く映画を観れる人がいること、その事実がただただ羨ましくてうなだれてる自分がいたんだけど、今日見れなかった人はきっと出会うべきタイミングがあるんだと、彼はその日のブログで言ってくれて。

私はその言葉が妙に腑に落ちて、あーなんか、そうなのかも、と(推しの言うことなのもあるけど)それを素直に受け入れて時が来るのを待ってた。

 

奇しくも私が映画を見る3日前の夜、キンプリの脱退報道が世間を騒がせてて。

自分もどこか寂しくてやるせないような気持ちになって、アイドルの人生ってなんなんだろう、それを応援しているヲタク(=私)の人生って?と往々にして考えてしまって、私は翌日に別の映画を見る予定だったんだけど、その映画では、なんだかどんなセリフを聞いても彼らのことが過って、不意に泣けてしまうような、よわよわメンタルになってた。

 

こんなんで大丈夫かな、すずめ、ちゃんと観れるのかな、と不安な気持ちもあった。そんな中で観た「すずめの戸締まり」だったんだけど、これがすごくて、自分の人生を深掘りして考えてしまっていた「今」が、なんだか本当にベストタイミングだったように思えてしまった。なんなんだろう、推しってすごい。

 

 

大ネタバレするけど、要石が両方抜けたミミズを封じ込めるシーン、草太が祝詞を唱えた後に付け加える言葉があって。

 

”命がかりそめだとは知っています。死は常に隣にあると分かっています。それでも私たちは願ってしまう。いま一年、いま一日、いま一時だけでも、私たちは永らえたい!

 

 

草太は椅子のまま要石となって、急にこの先の人生を絶たれてしまうという場面展開の後のこの台詞だからこそ、余計に涙が出て。いちばん泣いたシーン。

 

命はかりそめ。死と隣り合わせ。鈴芽も「生きるか死ぬかは運」とか言うし。そんな世界で、私たちは「一時だけでも永らえたい」、それは死ぬのが怖いというより、何かを道半ばで閉ざされることの恐怖の方が近い。何者でもない自分だけど、何者でもないまま、本当に終わってしまう。人生なんてどこまで行っても後悔の連続なんだろうけど、それでも、道半ばという感覚は、人生を悲観してしまっていた私にだってある。

 

何より、私はこの台詞を「推しの声」で聴いている。うまく言葉に出来ないけど、それだけで救われるような気持ちになった。(推しだからどうこうということはなくフラットに観ていたつもりが、ここだけはどうしても。)

 

自分は人の応援ばかりして自分自身には何の取り柄もないし、悩んでばかりだし、一体何のための人生だと思いながらダラダラと過ごしていたのだけれど、それでも、現状を手放したいかと聞かれたら、そんなことはない。人の応援ばかりしてる、けど、それが好きなんだから。そんな自分ごと好きでしょ。平凡だけど、好きと思えるものに囲まれて、出会うものたちに楽しい人生にしてもらっている。確かにそれは、私にとって失いたくないものだと思った。

 

何を見ても自分に立ち返って凹んでしまったり、ネガティブでついつい悲観的になりがちな自分が、やたら前向きな気持ちで映画を見終えたことが、なんというか奇跡のようで。私自身はどうせこのまま、ずっと何者でもないまま一生を終えると思うけど、それでも、そんな自分の人生にも意味があったような気が、未来にまだ希望があるような気がして。しかも、気づかせてくれたのが推しの声で。それが、ただすごく、嬉しかった。

 

 

 

この後、ラストシーンが冒頭の夢に繋がるという、俗にいう”伏線回収”のような展開が待っているんだけど、ここは「君の名は。」で、三葉と出会う前の瀧くんが組紐を受け取るシーンをオマージュしたようで、また涙が出た。

 

思えば、鈴芽が九州で扉を開けなければ。要石を抜かなければ。草太が椅子にならなければ。草太が要石にならなければ。ふたりの感情を弄んで震わせてきた出来事の全ては、子どもの鈴芽を救うことに繋がってて。

 

伏線回収と言ってしまえばそれまでなんだけど、そんな言葉で処理しきれないというか。輪廻転生、巡り巡って今の自分が在るような、今までの人生全てが必然だったかのような、そんな気持ちにさせられた。

 

 

 

 

あと、過去作と大きく違うように見えたのは、環さんの存在。

君の名は。」の場合、瀧くんのお父さんはご飯当番の話を一瞬したくらい、三葉のお母さんは亡くなっていて、お父さんとは別で暮らしている。保護者であるおばあちゃんは、作中ではストーリーテラーのような立ち位置に見える。

「天気の子」では、陽菜のお母さんは三葉のお母さん同様に亡くなっていて、こちらは保護者はいない。帆高の両親は、行方不明届は出しているものの作中には登場しないし、須賀さんは、保護者とはまたちょっと違うような。

 

鈴芽も過去作の主人公たちと同様にお母さんを亡くしているけれど、叔母の環さんという、れっきとした「保護者」がいた。

ほくとはパンフレットか何かで「今まででいちばんファンタジー」って言ってたけど、個人的には今までで一番リアリティーがあるように思えてて。笑 それはなんでだろうって考えたんだけど、今思うに、環さんの存在が大きかったのかも。

過去作にはあまり描写がなかった存在で、その過保護っぷりに共感する部分もあって、でも最後は二人の紡いできた時間を想像して涙が出てしまう。主題はファンタジーが強いけれど、副題のような、人との絆の描写が、すごく丁寧でリアル。

 

"それだけじゃない"って言うんだよ。環さんが。あの自転車のシーン本当に大好き。なんでそんな言い回しが思いつくんだろう。それに”分かってる”と返せる鈴芽も素敵。

 

 

 

 

何もないところから生まれる初見の感想は、もう二度と来ない。だからこんなブログを残そうと思った。今日、2回目を観に行っちゃう前に。笑

でもこんな、主観ごりごりの感想文なんかただの自己満でしかなくて、反芻して、いろんな言葉を噛み締めて、そうしているうちに、ふと涙が出てしまう「すずめの戸締まり」が、早く日本中に届くことを願うばかり。そして逃げも隠れもせず、大っぴらにネタバレツイートをしたい。笑

 

いつも「作品に出会わせてくれてありがとう」と推しには思うのだけれど(そうじゃないと、観ないものばかりなので・・・)今回ばかりは、なんだか、言葉にならない。私のために日本中からありったけの希望をかき集めて閉じ込めたような、そんな作品に思えた。「君の名は。」も忘れられないけれど、「すずめの戸締まり」も、一生忘れられない。推しの言葉を借りるとするなら「あと何回観れば気がすむのだろう」って、私も思う。とにかく特別だってこと!

 

 

救ってくれて、前を向かせてくれてありがとう。私も、まだ終われないこの先の人生を「行ってきます!」